2010年03月29日

東九州道工事 橋に亀裂、造り直し 強度計算ミスか(毎日新聞)

 宮崎県日南市で建設中の東九州自動車道「広渡川2号橋」(仮称)で多数のひび割れが見つかり、国土交通省は、橋を取り壊して造り直す方針を決めた。工事は昨年4月以来、中断しており、工事を請け負う準大手ゼネコン「ハザマ」が自社負担で撤去・再構築を提案し、国交省は了承した。橋は主要部分を取り壊して工事をやり直す異例の事態となる。

 橋は国の直轄事業で、08年9月着工。全長265メートル。総工費10億円で工事進ちょく率は6割。広渡川にかかる橋はつながってはいない。今年2月に完成予定だったが、昨年4月、右岸側の橋げた部分(115メートル)に多数のひび割れが見つかった。完成まで橋を支える「仮支柱」に橋げたが約6センチ沈み込んでゆがみが発生したためとされ、ひびは目視できるだけで数十カ所に生じ、最大で長さ約10メートル。「ヘアークラック」と呼ばれる微細なひびは無数にあるとみられ、設計業者が強度計算を誤ったとされる。

 国交省は昨夏、有識者による技術検討会議を設置し対策を検討してきた。ハザマは部分的な造り直しやひびに樹脂を充てんして補強する案を示したが、検討会議は今月、長期的な耐久性を懸念する報告書をまとめた。

 検討会議は、自動車の重みに長期間耐えられるか、との観点で8回の会議を通じてハザマの補修案の妥当性を検討。報告書は「橋すべてを取り壊す必要はない」としながらも、「ひび割れ損傷の前例がなく、長期的な耐久性にどう影響するか分からない」と、完成後もたわみなどの監視が必要と指摘した。

 報告を受けて国交省は「十数年先の信頼性が担保できない」としてハザマの補修案の受け入れを拒否したが、協議の結果、ハザマが造り直しを提案したという。国交省宮崎河川国道事務所の伊藤高所長は「ハザマの提案を検討している」と話している。【石田宗久、種市房子、位川一郎】

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2010年03月24日

<狩野探幽>水墨画「雲竜図」の作者と判明 京都・興正寺(毎日新聞)

 真宗興正派本山興正寺(こうしょうじ)(京都市下京区)所蔵の水墨画「雲竜図」が、江戸時代前期の代表的絵師で江戸狩野派を開いた狩野探幽(かのうたんゆう)(1602〜74年)の作品と確認された。同寺が19日発表した。作品の落款の印影と後水尾法皇から探幽に贈られた印(三井記念美術館蔵)が一致した。鑑定した樋口一貴・同美術館学芸員は「晩年の成熟した大胆さがうかがえ貴重だ」としている。

 作品は縦115センチ、横202センチ。嵐の海の上で雲をまとう竜が画面いっぱいに描かれ、左下に「法印探幽」の署名と「筆峯大居士」の落款がある。「行年七十歳」と記され、1671(寛文11)年に描かれたとみられる。

 興正寺には、黄金2枚を受け取った探幽からの礼状が残り、雲竜図が制作当時から同寺に納められていたことを裏付けている。

 真宗教団連合が来春開く「親鸞展」で一般公開予定。【藤田文亮】

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2010年03月23日

斎宮 ちょっとミステリアスな響き(産経新聞)

【麗し大和・記者の裏話】(12)

 「斎宮」(さいぐう、さいくう)という言葉には神聖な、そしてちょっとミステリアスな響きがある。未婚の皇女(女王の場合も)が伊勢神宮や後には賀茂神社で奉仕した斎王のことで、京都で5月に行われる「葵祭」のヒロイン・斎王代はその“代役”といえば、わかりやすいだろうか。

 ■薄倖の斎宮

 二上山に葬られたという悲劇の皇子、大津皇子の姉、大伯皇女も天武天皇の皇女として斎宮の任についた。弟の死を悲しんで歌った万葉集の秀歌「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」は、まるで恋人のよう…という人もいるけれど、まあ当時、異母きょうだいなら結婚できたし、同母きょうだいでもウワサのあった人たちはいた(中大兄皇子と同母妹の間人皇女など)から、全くないとは言い切れない。とはいえ、早くに母をなくし、母の妹(後の持統天皇)が皇后となって権力を増すなかで、姉弟のきずなは普通のきょうだい以上に強かったということではないか、と思う。

 さて、大伯皇女は弟が亡くなったのをうけて斎宮の任をとかれ、奈良に戻って歌ったのが先の歌。その後、ひっそりと暮らしたのだろうか、40歳ごろに没。多くの斎宮は任を終えても独身で過ごしたようだが、それにしても薄倖の皇女だったといえるだろう。

 ■ジェットコースター人生を送った斎宮

 斎宮出身でも後に結婚した例はわずかながらある(三十六歌仙の1人、斎宮女御は有名)。聖武天皇の皇女、井上内親王もそのレアケースで、子どもも生まれさぞかし女性としては充実した生涯だったかと思いきや、そうはならなかった。

 井上内親王と聞くと、廃后(皇后の位を廃された)や、怨霊(おんりょう)になった…などで有名(?)だが、天皇の第1皇女として生まれながら、藤原氏出身の光明皇后が生んだ異母妹(孝謙女帝)が女性ながら皇太子となり、その権勢の影で長らく日陰道を歩いてきた女性だ。幼くして伊勢の斎宮になり、弟の安積親王が突然亡くなった後(陰謀説がある)、任をとかれて奈良に帰京。珍しいことに当時は天皇の位からずいぶん遠いとみられていた皇族、白壁王(後の光仁天皇)と結婚した。30歳くらいだったそうだからずいぶん晩婚で、その後一男一女を産んでいるが、文献では30代後半から40代での当時としてはまれな高齢出産だったという。さて、ここから先がジェットコースターの人生となった。

 異母妹の孝謙女帝(独身だったため子どもはいない)が死去、天皇位が思いもかけず夫に転がり込んだのは、実は幸と不幸が表裏の出来事だった。身分が高いので正妃だった井上内親王は皇后となり、一躍宮中の女主人となるが、夫を呪詛(じゅそ)したとして突然、廃后。数年後に同じく皇太子を廃された息子とともに急死した。さぞかし無念の最期だったと思うけれど、内親王親子の失脚で皇太子に、後に皇位についた桓武天皇はその怨霊をおそれて後に2人の名誉回復をはかっている。ということは、やはり陰謀があったんだ…と考えるのがスジ。

 斎宮として退屈かもしれないが平和な生涯を送るはずだったスタートからすると、女性の、とりわけ身分の高い皇女の幸せとはなんだろう…と考えさせられる一生なのである。

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